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はじめての方へ

代表メッセージ


はじめまして、「クレアトゥールひなの会」代表の高山博子です。
本日は、数ある幼児教室の中から、私たちのホームページに訪れていただき、
ありがとうございます。

現在、私は、東京の目黒で幼児教室を営んでいます。
もう30年以上、幼児教育・受験指導に携わり、たくさんのお子さまと出会い、そしてその成長を見届けてきました。

子どもの成長する姿と笑顔を見ることが、私のなによりの喜びです。

ところで、我が子を預ける幼児教室を選ぶとなると、少し不安な気持ちになってしまうのではないでしょうか?

「ここは本当に信頼できる教室なのかしら?」「先生はどんな方なのかしら?」「きちんとした設備や教材は揃っているのかしら?」と考え出すといろいろ心配も出てきます。

このような、お母さまの不安な気持ちを少しでも解消できるように、教室の代表を務める私がどんな人間なのか、また、どうして幼児教室を始めたのかをお話したいと思います。

少しだけ聞いてください。

近所でも有名な 「おてんば娘」

私は、小さいころから喘息を患っていたせいで、それほど体が強い子ではありませんでした。夜中に発作を起こして、何度も救急病院に運ばれて家族を慌てさせたこともありました。

私の体があまり強くなかったせいもあり、両親は私を目に入れても痛くないほどに可愛がって育ててくれました。大変な苦労をかけたと思います。

ところが、可愛がり過ぎたためなのか、私はいわゆる「ワガママな子」に育ってしまいました。
しかも、ワガママなだけでなく、少女時代の私は近所でも有名な「おてんばな娘」でした。

ある日、こんなことがありました。

母に「いけません!」と言われていたにもかかわらず、乙女心を抑えきれず、黙ってハイヒールを自分の足に引っ掛けて遊んでいました。

突然、何らかの拍子にヒールが折れてしまい自宅マンションの階段から転げ落ちて、何針も縫う大怪我をしてしまったことがありました。驚くくらい血が出て、大騒ぎして泣いたのを覚えています。

今となっては笑い話なのですが、とにかく、いつもイタズラばかりして生傷が絶えないような子どもでした。

幼稚園受験での大失敗

そんなとんでもない「おてんば娘」だった私は幼稚園受験を経験しました。少しでも良い環境で一貫した教育を受けさせたいという両親の考えがあったのでしょう。

幼かった私はそんな親心も全くわからず、「とんでもない事」を受験の面接中に起こしてしまったのです。

面接をしてくださったのは、シスターの園長先生でした。

緊張した空気の中、私もしばらくはおとなしく椅子に座っていたのですが・・

ジッとしていられなくなった私は、突然椅子の上に立ち上がり、さらにあろうことかスカートをまくり上げて、
“みてー私のスリップ! 今日は新しいのを買っていただいたの!”
と園長先生にむかって嬉しそうに自慢してしまったのです!!

家族全員が落胆

あとにも先にも、両親のあれほど驚いた顔は見た記憶がありません・・・。
そして、面接が終わったあとの、両親や祖父母の落胆ぶりは想像を絶するものでした。

受験準備のためにせっせと個人の幼児教室に通わせてきた努力が、一瞬ですべてパアになってしまったのですから、まさに悪夢だったでしょう。

ところで、なんで私はスカートをまくり上げてしまったのでしょうか?

実は、私には6歳年上の姉がいて、洋服はいつも姉のお古を着ることが多かったのです。
ただその日は、幼稚園受験の面接ということで、両親も上から下まで(もちろんスカートの中も)真新しいお洋服を用意してくれていました。

そのときの私の喜び、ワクワク、高揚感は想像に難くないでしょう。

そして、その盛り上がり過ぎてしまった気持ちを抑えきれずに、スカートをまくり上げ、「面接」という晴れの舞台で「お披露目会」をしてしまったのです。

幸運にも合格できた理由

そんな「スカートまくりあげ事件」で家族全員を失望させた私でしたが、どういうわけか、その幼稚園に合格することができました。

面接してくださった園長先生には、スカートをまくりあげたことも含めて、私の個性と判断していただけたようです。このときの園長先生の寛大さには、今でもとても感謝しています。

”一人ひとりの個性を認め、その子の良い部分を引き出そうと努力する”

これが、私の幼児教育・受験指導の原点でもあり、理想として常に追い求めている姿勢でもあります。

(大学まで)16年間の一貫教育が私を変えてくれた

無事に私立の幼稚園に入園できた私は、附属の学校で幼稚園〜大学と16年間の一貫教育を受けることができました。

たくさんの素敵な友人
親身に、情熱を持って指導してくださった先生
申し分のない学園の設備

これ以上ない理想的な環境で、人として大切なことをたくさん学ぶことができました。

責任感、努力、謙虚な心、誠実さ、いたわり、社会の一員としての使命感。

どれも私の人生をかたち作る、たいせつなものばかりです。

おてんばだった私も成長し、少しは清楚(?)になれたと自負しています。

あこがれの幼稚園の先生に

さらに、附属の大学では保育を専攻し、卒業後は憧れの幼稚園の先生になりました。
もちろん、幼稚園の先生を目指したのは、私を個性を認めてくださったシスターの園長先生の影響です。

こんな素晴らしい教育を受けるチャンスをくれた、あの園長先生のようになりたい!
そんな気持ちひとつだけで、あの頃の私はなんでも頑張れていたように思います。

ただ、憧れだけで飛び込んだ幼稚園教諭の世界でしたが、仕事は想像以上にハードなものでした。
園児やお母さまのためにプライベートも忘れて奔走しつづける毎日はとても大変でしたが、それ以上の充実感がありました。

幼稚園には、結婚・出産を機に退職するまで3年間勤めましたが、このときの経験は、20年近く経った今でも本当に役立っています。

ひとりの母親として

その後娘も生まれ母親として育児に専念する幸せな日々を過ごしました。

このまま何も起きなければ、私が今こうして幼児教室を開くこともなかったでしょう。

みなさんとホームページで知り合う機会もなかったと思います。

あの日までは・・・。

我が家から笑顔が消えた日

ある日の朝のことです。娘が突然、お母さん、もう幼稚園にいきたくないよ・・・
と私に泣きついてきたのです。

びっくりした私はなんとか幼稚園に行かせようと、あの手この手で説得しようとしたのですが、涙で目を真っ赤に腫らした娘は、頑として首を縦に振りませんでした。

そう、私の娘は「登園拒否」になってしまったのです。

最愛の娘が投稿拒否に

このことには大きなショックを受けたのですが、実は娘が通う幼稚園の雰囲気があまり良くないことは、前から薄々感じていました。

娘が通う幼稚園の方針は、「自由保育」。聞こえはいいのですが、実情は単なる「放任状態」でした。

例えば、子どもが危険なことをしていても先生が「見て見ぬふり」をしていたり、先生の感情任せで怒っていたり、そんな場面をたびたび目にしていました。

そんな環境の中で、娘も先生の顔色をうかがって行動することが多くなっていたようです。そして、精神的なストレスが積み重なり、登園拒否という最悪の事態に陥ってしまったのです。

最悪の事態・・・

でも、娘が登園拒否になって初めて気づいたことがありました。

それは、娘の転園を考えて、他の幼稚園をいろいろ見て回ったり、同じ年齢の子どもを持つお母さま方に相談するなかで気づいたことです。

どこの幼稚園も実情は同じようなものだということ

<たくさんのお母さまが、私と同じように、子どもを預ける教育環境について、不満や悩みを持っていたこと>

なかには、私よりも遥かに深刻な悩みを抱えているお母さまもいらっしゃいました。

娘のことも心配だったのですが、それよりも、いまの幼児教育の環境を何とかしたい、たくさんのお母さまの悩みをどうにかして解決していきたいという思いが膨らんでいったのです。

悩んでいるお母さまの力になりたい! 幼児教室を開くことを決意

そんなときに、「幼児教室を自分で開く」という考えが頭に浮かびました。

理想の環境がないのであれば、自分で創り出せばいい。

嘆いているのではなくて、私自身が、自分の娘や、同じ年ごろの子どもたちに、個性や能力を伸ばせる教育を受けられる環境を創っていけばいい、そう思うようになったのです。

そして、思い立ったらすぐ行動です。
(この辺は子ども時代からあまり変わってないのかもしれませんね。)

小さな教室でしたが、子どもたちの笑顔があふれる愛情いっぱいの幼児教室、という理想を目指してスタートしたのです。

失敗、失敗、失敗の連続・・・

ただ、幼児教室を開いた当初はうまくいかないことの連続でした。

思うように、お子さまの力を伸ばすことができない・・・ 幼稚園と小学校、どちらで受験をするのが良いのか、受験のタイミングについてご両親と意見が食い違ってしまう・・・ スタッフ同士で、指導の方針や意見が対立しバラバラに・・・

当時のドタバタ・大変さはここにはとても書ききれませんが、幼稚園の先生として働いていたときの経験があるから大丈夫だろうという私の考えは甘いものでした。

寝る時間を削って猛勉強

幼児教育で、「お子さま一人ひとりに合わせた最適の教育環境」を作ろうとしたら、かなりの専門的知識・スキル、指導ノウハウが要求されます。

お子さまの個性・能力を伸ばすためには、「想い」や「経験則」だけでは不十分なのです。

だから、クレアトゥールひなの会は、幼児教育のベテランスタッフをはじめ、幼稚園教諭、社会福祉士、臨床発達心理士などの専門資格を持つスペシャリストと連携して多方面からの教育支援を行うことができるのです。

私自身も、お預かりするお子さまのために、寝る時間を削って猛勉強に励みました。

その結果、毎年たくさんのお子さまが志望の幼稚園や小学校に合格してくれるようになりましたし、他の幼稚園や幼児教室でうまく馴染めなかったお子さまが、自分らしさを発揮して成長してくれるようになりました。

まだまだ道半ばではあるのですが、少しずつ理想の教育環境の実現に近づいて来ているのではないかと手ごたえを感じています。

お子さまの成長が最高の喜び

私にとっての何よりの喜びは、教室を巣立っていったお子さんの成長した姿を見ることです。

たとえば、私たちの会を卒業したお子さまが学校帰りに教室に遊びに寄ってくれることがあります。

そんなときに、入会したてのころはお話しが苦手で、黙りこくって目も合わせられなかったお子さまが、お友だちのこと、勉強のことなどを、目をキラキラさせてお喋りしてくれるのを聞くと、ほんとうに幼児教室をやってきてよかった”と幸せな気持ちになれるのです。

ひとつだけお願いが・・・

最後に、お母さま・お父さまにひとつだけお願いがあります。

それは、他のお子さまと比較ばかりするのではなく、お子さまの個性・良いところに目を向けてあげて欲しい、ということです。

うちの子なんでこんな性格なのかしら?
周りの子に比べて成長が遅いんじゃないかしら?

私も母親ですから、その気持ちはよく分かります。

ですが、よく考えれば私自身、喘息で体が弱く、ワガママなおてんば娘でした。それこそ、幼稚園受験の面接本番でスカートをまくり上げるようなとんでもない子どもでした。

それでも、そんな幼い頃の私を、あのシスターの園長先生は「個性」として受け止めてくれました。そして、私の個性を「教育の力」で伸ばしてくれたのです。

どんなお子さまでも、必ず素晴らしい可能性の「種」を持っています。その可能性の「種」を大きく育て、咲かせられるかどうかは環境次第です。

一緒にがんばりましょう!

私たちクレアトゥールひなの会では、お子さま一人ひとりの個性を伸ばし、可能性を最大限に引き出していく指導をすることをお約束します。

ここまで長々とお付き合いいただき、本当にありがとうございました。
お子さまと一緒にお会いできるのを楽しみにしています。